IKU(育)の略歴

西田 育司(やすし)

1962年(昭和37)7月12日生まれ

京都市山科区に生まれ現在も山科に在住

京都市立音羽小学校

京都市立音羽中学校

京都府立東稜高等学校(2期生)

生粋の京都山科人

1985年(昭和60年)京都のN信用金庫に就職(システム開発)

1988年(昭和63年)11月6日、26歳で心筋梗塞(原因不明)を起こし一度目の生死をさまよう(結納の3日後)

1989年(平成元年)倒れた翌年の3月に結婚

1993年(平成5年)勤めていた信用金庫が吸収合併され職場環境が激変(吸収側の専門部署に配置される)システム開発からシステム営業に配属される。

この時営業経験を積んだおかげで起業にはかなり役になった。

1997年(平成11年)転職 宮崎県に本社を置くIT企業(大阪支社勤務)

ソフト開発の会社の実態を始めて知る事になる。面接は大阪事務所ではなくホテルのロビー?

即採用で初出社で初めて事務所に行った。1部屋の小さな事務所。帰ろうかと思ったし実際帰った奴もいた。

1999年(平成13年)ソフト開発業界の未来厳しいことを実感しどうせ同じ仕事をやるなら稼ごうと思い。退職と同時にフリーランスのシステムエンジニアとなる。

2001年(平成15年)フリーランスを2年経て有限会社設立(初年度年商6000万円)

2006年(平成18年)株式会社に組織変更

最盛期正社員26名 外注約50名 年商4億まで売り上げる

2011年(平成22年) 11月25日 株式会社オリーブ設立

2012年(平成23年)1月末日 リーマンショック以降業績悪化のため会社を精算 弁護士介入により業務停止

2013年(平成24年)3月1日 会社清算及び自己破産の申し立て(東京)

2013年(平成24年)6月30日すべての債権について免責がおり裁判が修了する。

2013年(平成24年)9月28日、二度目の生死をさまよう(心臓が止まる)

ちょっとあの世を覗いてしまいました。

その後、『ICD』を埋め込み、心臓アブレーション手術を行い、現在に至る。あっけなくこの世を去る方もおられるのに、何故自分は生かされているのかずっとわからな日々でした。最近いろんな方とお話するうちに、なんとなく自分の方向が見えてきたように思います。自分の力、能力、経験で、できること、求められることをやっていきます。ここには書けないようないろんな経験をしてきました。どのような相談を受けても、しり込みすることなく話が聞けると思います。安心してお話しください。

現職 株式会社オリーブ 代表

※ICDとは「Implantable Cardioverter Defibrillator 」の略で植込み型除細動器のことです。

体の中に植え込んでおいて、心室頻拍、心室細動などの致死的な不整脈が起こった時に自動的にペーシング、除細動(電気ショック)を行って不整脈を止めるのです。

過去の経験

・26歳で心筋梗塞を患い、その後の人生を考える中から答えを導き出した。

・病後の人生を考え調理師免許を取得し、将来はのんびりとカフェをやりたいと思っていた。

・金融機関で、営業することの難しさ、直接顧客と話し、ふれあい、交流すること、一線越えないお付き合いとストレスをいかに消化するかを学んだ

・金融機関の合併で自分の居場所をいかに作るか、そして組織になじむこと、その難しさを経験した。

・今で言うパワハラを経験してしまい、生きるか死ぬか、そんなことを考える日々が続く。

 そして家内に背中を押されて金融機関を退職。今考えるとパワハラではあったかもしれないが、聞き流したり、ご機嫌をとることができればそこまでは悪化してなかったと思う。若かったんだろう。

・転職を経験、あまり苦労せずIT業界へ入る。

 しかしIT業界の仕組みを知らなかったので、入ってからとんでもない現実を知ることに。

・採用後、50日間なんの仕事も無く事務所に座っていた。そこは5坪もない小さな部屋で、支社長と私だけ、パソコンもない世界。大阪支社の社員は50名ほど、しかし誰もいない。ここで、初めて知った事実は全員現場(他社の開発に参加)に出ること。オフィスにある自分の机で開発すると信じていた。リサーチ不足を思い知る事となった。

・始めて出向がきまり、他社(大手都銀)で仕事をする。システム開発の現実を始めて見た。

・ある現場でとても厳しい状況(ソフト開発ではなかった)になり、会社にSOSを出すも、スルーされた。会社は味方で助けてくれる物だと信じていたがあっさり見捨てられた。

社員を守らないで会社といえるのか・・・ 結局退職することになる。

・フリーランスのシステムエンジニアを経験、退職時一緒に仕事をしていた他社から来ているメンバーに声をかけられフリーランスになって仕事をもらい参加したのは大手のクレジットカード開発会社であった。

・本当のプロジェクトに入って、自分のスキルの無さに危機感をもったが、フリーランスの立場では、自分で解決するしかないので、生き残るためには何が必要かをここで学んだ気がする。うそでもいいからYESと答える。答えたからにはちゃんと結果を出す。スキルが無いことを知られないよう水面下で努力する。嘘も方便、結果を出せばOKな世界!

・起業、フリーランスの2年でしっかり営業ができるようになり、売り上げも急成長したことから 組織化することになった、資金不足で有限会社しか作れなかったが、これで自分が人生初の会社のtopとなる。(開業時社員は自分だけ)

・会社は順調で社員も増え、売り上げも倍々ゲームのように伸び、株式会社に組織変更するにいたる。ここから数年は、自分の年収が2000万円でも利益がでていたので、まさに天下を取った気分。金融機関の年収が500万だったので4倍になったことになる。

初めてブラックカードを持った。外車に乗りゴルフに行き、毎月のように家族旅行もして、最高の時間を過ごしていた。

・ある出来事から業績悪化、取引先との問題、社員との問題、いろんな問題があり、運転資金も足りなくなり借り入れや、融資の相談ばかりで、本来の業務が手につかない状態になる。

・再起を試みるも、うまく行かず、結局法定整理をすることになり弁護士に介入を依頼する。

起業して初めての事務所机は貰い物で4人が座れるテーブルセットだけだった。
大阪西区立売堀四ツ橋本町

社員も採用し売り上げも増え始めた頃同じビルで空きが出て移転した。狭いながらワンフロアを借りた。

京都に支社を開設した時の事務スペース。烏丸錦小路西入る
大阪と京都を行ったり来たりの毎日でした。

大阪本社・京都支社を統合して別に借りたビルに本社を移転。拠点を生まれ育った京都にした。